まえがき

このサイトは、かつてyahoo掲示板にあった”ドラマ視聴率はなぜ落ちた”というトピックスを一部転載したものです。siro9999と書かれてあるのが私の発言、そのほかのハンドルが他の人たちです。トピが落ちてしまったので掲載の許可は取っていません。

res444 名前:siro 投稿日:2004/ 1/14 23:33 >>439

なるほど

>基本的なところでは同意してもらえても俺とあなたは評価の基準も好みもかなり違うようだよ。

こういうのは人それぞれだからどうしようもないですね。だからこそ製作者は、はっきりとターゲット層を絞るべきであって、万人受けを狙ったりでもしたら、それを有料のコンテンツとして売り出す場合、かなり苦戦してしまうんだと思いますね。


少なくとも僕はいら夏に満足していて、現にDVDBOXも持っていて、他にもそういう人たちがいる。駄作と言っている人は、買わないだけのことですから。自分の好みの映画を見るとか、あるいは本を買う、買わないと、同じようなことだと思います。


CDや、映画とか、小説なんて、かってに自分で好きなものをチョイスして、気に食わないものが市場でじゃんじゃん売れてようが一向に気にしないんですが・・やはりドラマは限られたパイ(枠、予算、キャスト)の奪い合いですから、こんなのがもてはやされるようじゃ、自分の好きなジャンルが圧迫を受けて、淘汰されちまう・・・こう焦る気持ちが、他ジャンルよりおおきいのかもしれません。


小説などは、いくら売れ線で無い路線が危機だ・・・といっても、ドラマよりは小規模ですから、相変わらず売れ線以外のジャンルなどは時代がたってもなくならないようですし、映画だって、ドラマよりは、その傾向ははなはだしくは無いと思います(違う意見を言っておられる方もいますが、私はそう思います)。相対的に、ドラマより、多岐にわたっていて、消費者のチョイスが自由である。そう思います。有料だからこそ、こういった状況になっている。ドラマは無料だからこそ、こういう状態になっていない。ということでしょう。音楽性のみ追求したCDと、うたばん、ヘイヘイへイなどでじゃんじゃん宣伝した売れ線のCD、これらの傾向を比較しても、同じような差があるかと思われます。宣伝枠、番組枠など、無料のモノに依存した媒体は、その、巨大なパイを奪いあうことで、勝負している。有料収入に依存したコンテンツは、他は関係なく、自身の売上そのもので、勝負している。奪いあっているのは、個人の財布の紐のみ。それだって、映画同士で、直接財布の中身を奪い合っているわけではなく、ライバルは、食費、光熱費いろいろとあって、コンテンツ相互との、直接の関連性はうすい。逆に、宣伝枠、マスコミの力関係などは、あっち立てばこっちが落とされるといった、直接的、ゼロサムの関係であり、より直接的で、ライバルコンテンツの浮沈が、自身の浮沈を決定的に左右する。だから、みな、自分の好みとは別に、何が世間でもてはやされているか、他ジャンルより敏感になっている。そういうことかと思います。

res441 名前:elutoさん 投稿日:2004/ 1/14 1:43 >>440

こちらには同意

脚本を担当した龍居由香里は頑張った方。いいホン書くよ。彼女は。白い影はキャスティングと演技は全然なっちゃなかったけれど演出は良かった。井上由美子時宗は脇から色々茶々入れられて台無しにされたがその他ではいいものを書いている。広末涼子はちゃんとやればいい仕事もするのに。仕事をいい加減にするのはそういう時期だからかもしれない。だから判定はやっぱりダメ女優だね。少なくともここ2〜3年はダメだった。

res440 名前:yeffiさん 投稿日:2004/ 1/14 1:12 >>439

ちょっと横レス

プロデューサーはともかく、龍居由香里さん、という人は、作品によっては悪くはないなぁとこちらは思っています。


と、いうのはいま東京地区では「白い影」の再放送をしていますが、はっきりいってキャスティングは相当な逆境だったように思います。elutoromoさんが言われる「モノを造る時の順番」は整っていなかったでしょう^^;;


それを、脚本の枢要の問題意識を残しながら、生命の破滅と善悪の彼岸と妄執的性という、比較的1970年代の男性的でシンプルといって良い構成を、、ドラマでの配役、時代背景をドラティックに換えた上で、かなり不満な部分もあるとはいえ、それなりに納得はできるストーリー編成にし、決して演技力に優れているとは言えない中居君に「NN病」の患者を作る程の出来に仕上げてしまいました。


この事は、例えば「北条時宗」を見事に空中分解させた井上由美子さんなどと比べると良いほうなのではないかなとこちらは思います。(ただ現在の仕事は知らないので仰るようにひどい事になってるのかもしれませんが^^;)


あと、広末涼子さんについて言えば、私生活で非常に素行の問題があり、麻薬に手を出した上に某有名私立大学をコケにするようなマネをしているので、仰る事はごもっともだと思います。正直こちらもそういう風に見ていたのですが、ここ一〜二年くらいのドラマでちらちらと見る限りでは、かつての透明感を前面に出したイメージ戦略と異なり、確かにある程度は表情の豊かさや演技力のようなものがそれなりについてきてはいるように見受けられはします。勿論「演技派」などと言うのは過大評価だとは思いますけれど^^;;


ドクターコトーはとても良かったと思います。少なからぬ人がミスキャストと思った吉岡君が原作と異なる意味で大ハマリ役でした。純君と違うハマリ役はこのドラマがはっきりいって最初ではないでしょうか。総じてキャスティングに疎漏も無かったし、起承転結が明確でしたし、緩急のつけ具合、それぞれのシーンの移行の仕方も大抵の場合は無理が無く良かった。前評判がそれほど高く無かったのに視聴率20%寸前までいったのは、故があることと思いました。と同時に、視聴率という指標はやはりそれなりに内実が伴う事もあるのだなとも。

res439 名前:elutoさん 投稿日:2004/ 1/13 23:53 >>434

>同感、全くといっていいほど、そのとおり・・・フウ・・言うこと無いです。


とまで言っていただいて何だけど、あなたが挙げた人たちこそ真っ先にダメ出ししたい対象なんだな。ちゃんとした例として出てくるのが毎度毎度馴れ合いキャスティングするプロデューサーとキムタク張りにワンパターンな芝居をするコネ俳優、プライベートの荒れ様を仕事に持ち込む困った女優じゃマズイな。


しかも愛なんていらねぇよ夏って。悪いけど俺にとっちゃあれはどうしようもない駄作だった。
基本的なところでは同意してもらえても俺とあなたは評価の基準も好みもかなり違うようだよ。バーターの全面否定はしない。視聴率も取れなきゃいけないだろう。ただモノを作る上で最初に来るもんの順番が違うと俺は言いたいんだな。俺は最近のものならDrコトーが良かった。

435 名前:yeffさん 投稿日:2004/ 1/13 10:45 >>434

そうでもないかと

映画や文学のフィールドでも商業としては収益性が重視されます。むしろ、メディア経営としてはまだまだ斜陽とはほど遠いテレビに比べて遥かに差し迫ったものがあります。


例えば文学的小説に関して言えば、芸能人が書いた作品、テレビドラマなどの他メディアに載った原作、醜聞を満載したもの、衝撃告発系といった「社会的話題作」が「文学」の装いを施されて商品化されます。


逆に言えば、自己の内面的欲求と社会的必要性と、物語の筋とは異なる研鑽された明晰な文体を調和させた文学作品」などと言うものが、少なくともそのままの形で世に問われれば、五千部(出版界での採算点)に載るかどうかすら危うい。


学術作品には文部科学省や各大学から出版奨励金が出ますし、賞を受賞するような作品にはそれなりに出版社から採算度外視で臨む体制があったりしますが、純文学の作品を世に問う門戸は狭まっているのが実情でしょう。


勿論商業利益に囚われない作品を世に問う場所はまだあります。ただ、そういった場所である純文学雑誌自体が採算が取れずに廃刊に追い込まれていたり、出版社内で内部補助でかろうじて持っているということを考えると、残り少ない発表の場も削り取られているというのが実態ではないかと思います。


映画作品で言えば、以前松竹の奥山さんというプロデューサーさんが「シネマジャパネスク」という企画を立ち上げられました。30本の映画を新進の映画監督に予算6000万円で作らせるというものでした。


この企画によって映画(邦画)通の人達に映画として一定の評価を受ける作品が多く輩出されました。今でもこれらの作品群の中で評価が高いものがあったり、これを通じて邦画界に名の知れた方も、映画監督のみならず、技術スタッフ・美術スタッフ界にも結構いらっしゃるようです。


しかしながら商業的には完全な失敗で、この企画が破綻したことをきっかけに松竹内部ではクーデターが起こり、奥山一族は放逐される結果となりました。


このときの商業的な失敗を、制作費の奔騰(6000万円から億単位に膨れあがる作品が多かったこと)や、ソフトを衛星劇場に囲ってしまったからだという事に求められる場合があります。


なるほどそうなのですが、より衝撃だったのは、作品あたりの売り上げが当初の見込みを遥かに下回った(1000〜3000万円)事です。


つまり、そういった「映画界に求められる作品」を作って、そういった層に非商業的な意味合いから確かに評価されても、興行的にはペイしないどころか、完全、いや、深刻な持ち出しになってしまいました。


そもそも「映画通に極めて高く評価された作品」、たとえば「うなぎ」のようなカンヌ映画祭パルムドール受賞作品にしても、3億円の興行収入しか上げられませんでした。単に奥山さんの経営手腕が悪いとか個人的におぼっちゃまだから問題がある、というレベルの話ではなかったように思われます。


これに対して例えば「千と千尋の神隠し」や「失楽園」といった興行的に成功した作品は、100〜1000億円クラスの収入を上げます。東映などは「失楽園」のヒットだけでその年の黒字分ほぼ全てに匹敵し、それに次ぐヒット作が無くなってしまえばあっという間に赤字転落してしまいました。


この時に映画専門の業界で名の知れたジャーナリストの方が、「映画界で求められる作品を作る事と、世間(興行的)に求められる作品というものが、想像を絶する乖離のある時代」に突入した事を、改めて、まざまざと見せ付けられていると仰られました。


これは当たり前の事ですがどのメディアにも言えることだと思います。つまり、視聴率にせよ興行成績にせよ、収益(収入)に繋がるものを創らなければ、そもそも会社組織として成立しないという事です。問題は、そうした収益を追求しながら、多種多様な層にそれなりに「納得」される作品を作ろうとする事が、いかに難しい時代になったか、という事かと思います。


ちょうど「紅白歌合戦」が余りにも多様な世代、音楽に対しても映像趣味に対しても余りにも多様な層を抱合し視聴率50%を目指そうとする時、その年の音楽どころか、そもそも音楽とは懸け離れた要素を集めてなんとか達しようとします。


テレビドラマ界が「ドラマ」としての矜持を失うようなキャスティングになっている事がままあります。ただ、それは事務所間の思惑や内部覇権闘争の側面もありますが、不況で放送製作費を半減以下にさせられる中で、広告効果として「確実に」視聴率という指標で10〜15%を達成することを求められるプライム・タイムのドラマとしては、保守的な傾向に走るのはやむを得ない側面も多分にあるように思います。


よく言われるドラマの枠を減らせない(潰せない)のも、コンスタントに毎週流すもので、ドラマ以外のコンテンツでこの時間帯でスポンサーの求める視聴率を確実に取れるものはそうはないからです。バラエティ番組にしても現時点で類似製作が飽和状態にあるわけですし^^;;


実際、昨今のドラマとしては非常に高い評価を受けている工藤さんの作品に対して、理解のないスポンサーからは9%台に低迷した瞬間「話題作だと言うから出したのに」話が違うと捻じ込んだという事があったようです。


そもそも、siroさんが仰られるように、映画界にしても音楽界にしても文学界にしても、商業的成功と作品それ自体を審美評価する一部層への対応は分かれています。プライムタイムのドラマは、音楽で言えば「はまさきあゆみ型」の商業的成功を狙うことが当然に求められるものです。


その一方で、創作的で実験的なドラマというのは、むしろ深夜番組や早朝番組といった、商業的成功の枠を外されていたり、あるいは一部地方局のような、制作費は厳しいけれどもやりようによっては挑戦的な作品を出せる場、という所で行われるもののように思います。


バラエティなどではこうした実験が紆余曲折を経ながらある程度系統だって枠が確保されています。ドラマにしても、例えば「night head」、昨今では「スカイハイ」といったドラマは(内容はさておき)ある程度実験的なテクストを持っていたように思います。


こういう枠であれば、ある程度は冒険ができるでしょうし、CM中心やモデル出身の女優さん、俳優さん中心のキャスティングに頼らない編成ができ、かつ、テレビなんだから、という事で一般視聴者から完全に遊離した世界とは異なった内容を持った作品が出てくる可能性があるように思います。


そういった深夜枠からそのままプライム・タイムへ持ち上がる事はないでしょう。(それに、それはある意味危険ですが)


ただ、そういった環境で成功を掴んだスタッフが、視聴率確保の必要性とドラマ制作の「納得」のカンを併せ持って登場してくる可能性と言うのはあるように思えます


プライム・タイムのドラマ制作は、言うならば視聴者の手の届きにくい理由で決まっています。そうした所であれこれ言ってみてもしょうがないでしょうし、そういった実験の場というものを創る機会をどうやってテレビ局側に納得させられるか、というのが「ドラマ衰退」を打開する機運を盛り上げる事にもなるでしょう。


実際、例えばNHKの23時枠などは、実験的ではありませんが、それなりに丁寧なドラマを作って、深夜としてそれなりの視聴率(6〜8%台)を出しています。


これよりもっと遅い、例えば25時台にドラマを作る枠を設けるよう、数百人単位で署名するなり、メールを出すなり投書するなりする緩やかな組織を作られてはいかがでしょう。


数百人単位であれば、コンテンツの深いホームページの恒常的な運営や、同人ミニコミ雑誌の運営等を通じて、徒手空拳の状態からでも真剣な意欲と時間さえあれば一定の組織化は出来ると思います。そうすればラジオドラマや深夜ドラマの製作レベルならば、全てではないにせよ、ある程度意見を取りあげてもらえる存在になるでしょう。ドラマにどのくらい思い入れがあるかにもよりますが^^;;

434 名前:siro 投稿日:2004/ 1/13 2:28 >>433

同感

全くといっていいほど、そのとおり・・・フウ
言うこと無いです。


>本当にいいものを作ろうとしたらしっかりとしたプロデューサーの「こういう作品を作る」というビジョンがあり、そこから生まれるしっかりとした脚本があり、きちんと演じられる俳優・女優を集め、練り上げられた演出をし、作品を盛り上げるいい劇伴をセレクトあるいは作曲されたものを挿入し、最後まできっちり仕上げたものを放送しろ。


同感です。具体例として、多少、私の主観が入っていますが・・・・


>本当にいいものを作ろうとしたら、しっかりとした植田プロデューサーのような「ちゃんとしたオトナの鑑賞に堪えられる作品を作る」というビジョンがあり、そこから生まれる、しっかりとした龍居由香里の脚本があり、渡部、広末、藤原龍也のような、イメージいいってだけで使われてるようなでかい事務所の役者連中じゃない、きちんと演じられる俳優・女優を集め、堤幸彦のような、練り上げられた演出をし、作品を盛り上げる、シナトラのFly Me To The Moonや、池田綾子の手がけた主題歌※のような、事務所のバーターによらない、センスのいい劇伴をセレクト、あるいは見岳章・武内 享のような有能な人物が作曲されたものを挿入し、最後まできっちり仕上げた、”愛なんていらねえよ。夏”のようなドラマを放送しろ!


でも視聴率はいかなかったんですがね。視聴率にこだわらずに、こんだけいいもんが作れて、でも、やっぱり上層部は視聴率にこだわるんですか?植田が、視聴率にこだわらないということに固執したおかげで、これだけ水準の高い作品を作ることが出来て、これだけ視聴者も満足させることができて、たしかに視聴率は行かなかったかもしれないですけど・・でも上層部は、他に何の不満があるというんでしょう。


これが映画、文学の分野だったら、興行収入の高いジャンルとは、全く比較されないフィールドで、高い評価をえたのは間違いないのですが・・・そういう場はどこにも無いのですか?タイタニックと文芸シネマ、芥川賞作品と西村京太郎、売上を持ち出して直接比べている人などいませんよ。ドラマ制作上層部、一般視聴者は、どうなんでしょうか?


池田綾子芸映系で、これも言っちゃあナンだが、バーターには違いは無いのですが。でも、本人は多分、ドラマに完璧にあった作品をあえて書き下ろしたのですから、他の新曲お披露目会のような主題歌とは、一緒にされたくはありません。