435 名前:yeffさん 投稿日:2004/ 1/13 10:45 >>434

そうでもないかと

映画や文学のフィールドでも商業としては収益性が重視されます。むしろ、メディア経営としてはまだまだ斜陽とはほど遠いテレビに比べて遥かに差し迫ったものがあります。


例えば文学的小説に関して言えば、芸能人が書いた作品、テレビドラマなどの他メディアに載った原作、醜聞を満載したもの、衝撃告発系といった「社会的話題作」が「文学」の装いを施されて商品化されます。


逆に言えば、自己の内面的欲求と社会的必要性と、物語の筋とは異なる研鑽された明晰な文体を調和させた文学作品」などと言うものが、少なくともそのままの形で世に問われれば、五千部(出版界での採算点)に載るかどうかすら危うい。


学術作品には文部科学省や各大学から出版奨励金が出ますし、賞を受賞するような作品にはそれなりに出版社から採算度外視で臨む体制があったりしますが、純文学の作品を世に問う門戸は狭まっているのが実情でしょう。


勿論商業利益に囚われない作品を世に問う場所はまだあります。ただ、そういった場所である純文学雑誌自体が採算が取れずに廃刊に追い込まれていたり、出版社内で内部補助でかろうじて持っているということを考えると、残り少ない発表の場も削り取られているというのが実態ではないかと思います。


映画作品で言えば、以前松竹の奥山さんというプロデューサーさんが「シネマジャパネスク」という企画を立ち上げられました。30本の映画を新進の映画監督に予算6000万円で作らせるというものでした。


この企画によって映画(邦画)通の人達に映画として一定の評価を受ける作品が多く輩出されました。今でもこれらの作品群の中で評価が高いものがあったり、これを通じて邦画界に名の知れた方も、映画監督のみならず、技術スタッフ・美術スタッフ界にも結構いらっしゃるようです。


しかしながら商業的には完全な失敗で、この企画が破綻したことをきっかけに松竹内部ではクーデターが起こり、奥山一族は放逐される結果となりました。


このときの商業的な失敗を、制作費の奔騰(6000万円から億単位に膨れあがる作品が多かったこと)や、ソフトを衛星劇場に囲ってしまったからだという事に求められる場合があります。


なるほどそうなのですが、より衝撃だったのは、作品あたりの売り上げが当初の見込みを遥かに下回った(1000〜3000万円)事です。


つまり、そういった「映画界に求められる作品」を作って、そういった層に非商業的な意味合いから確かに評価されても、興行的にはペイしないどころか、完全、いや、深刻な持ち出しになってしまいました。


そもそも「映画通に極めて高く評価された作品」、たとえば「うなぎ」のようなカンヌ映画祭パルムドール受賞作品にしても、3億円の興行収入しか上げられませんでした。単に奥山さんの経営手腕が悪いとか個人的におぼっちゃまだから問題がある、というレベルの話ではなかったように思われます。


これに対して例えば「千と千尋の神隠し」や「失楽園」といった興行的に成功した作品は、100〜1000億円クラスの収入を上げます。東映などは「失楽園」のヒットだけでその年の黒字分ほぼ全てに匹敵し、それに次ぐヒット作が無くなってしまえばあっという間に赤字転落してしまいました。


この時に映画専門の業界で名の知れたジャーナリストの方が、「映画界で求められる作品を作る事と、世間(興行的)に求められる作品というものが、想像を絶する乖離のある時代」に突入した事を、改めて、まざまざと見せ付けられていると仰られました。


これは当たり前の事ですがどのメディアにも言えることだと思います。つまり、視聴率にせよ興行成績にせよ、収益(収入)に繋がるものを創らなければ、そもそも会社組織として成立しないという事です。問題は、そうした収益を追求しながら、多種多様な層にそれなりに「納得」される作品を作ろうとする事が、いかに難しい時代になったか、という事かと思います。


ちょうど「紅白歌合戦」が余りにも多様な世代、音楽に対しても映像趣味に対しても余りにも多様な層を抱合し視聴率50%を目指そうとする時、その年の音楽どころか、そもそも音楽とは懸け離れた要素を集めてなんとか達しようとします。


テレビドラマ界が「ドラマ」としての矜持を失うようなキャスティングになっている事がままあります。ただ、それは事務所間の思惑や内部覇権闘争の側面もありますが、不況で放送製作費を半減以下にさせられる中で、広告効果として「確実に」視聴率という指標で10〜15%を達成することを求められるプライム・タイムのドラマとしては、保守的な傾向に走るのはやむを得ない側面も多分にあるように思います。


よく言われるドラマの枠を減らせない(潰せない)のも、コンスタントに毎週流すもので、ドラマ以外のコンテンツでこの時間帯でスポンサーの求める視聴率を確実に取れるものはそうはないからです。バラエティ番組にしても現時点で類似製作が飽和状態にあるわけですし^^;;


実際、昨今のドラマとしては非常に高い評価を受けている工藤さんの作品に対して、理解のないスポンサーからは9%台に低迷した瞬間「話題作だと言うから出したのに」話が違うと捻じ込んだという事があったようです。


そもそも、siroさんが仰られるように、映画界にしても音楽界にしても文学界にしても、商業的成功と作品それ自体を審美評価する一部層への対応は分かれています。プライムタイムのドラマは、音楽で言えば「はまさきあゆみ型」の商業的成功を狙うことが当然に求められるものです。


その一方で、創作的で実験的なドラマというのは、むしろ深夜番組や早朝番組といった、商業的成功の枠を外されていたり、あるいは一部地方局のような、制作費は厳しいけれどもやりようによっては挑戦的な作品を出せる場、という所で行われるもののように思います。


バラエティなどではこうした実験が紆余曲折を経ながらある程度系統だって枠が確保されています。ドラマにしても、例えば「night head」、昨今では「スカイハイ」といったドラマは(内容はさておき)ある程度実験的なテクストを持っていたように思います。


こういう枠であれば、ある程度は冒険ができるでしょうし、CM中心やモデル出身の女優さん、俳優さん中心のキャスティングに頼らない編成ができ、かつ、テレビなんだから、という事で一般視聴者から完全に遊離した世界とは異なった内容を持った作品が出てくる可能性があるように思います。


そういった深夜枠からそのままプライム・タイムへ持ち上がる事はないでしょう。(それに、それはある意味危険ですが)


ただ、そういった環境で成功を掴んだスタッフが、視聴率確保の必要性とドラマ制作の「納得」のカンを併せ持って登場してくる可能性と言うのはあるように思えます


プライム・タイムのドラマ制作は、言うならば視聴者の手の届きにくい理由で決まっています。そうした所であれこれ言ってみてもしょうがないでしょうし、そういった実験の場というものを創る機会をどうやってテレビ局側に納得させられるか、というのが「ドラマ衰退」を打開する機運を盛り上げる事にもなるでしょう。


実際、例えばNHKの23時枠などは、実験的ではありませんが、それなりに丁寧なドラマを作って、深夜としてそれなりの視聴率(6〜8%台)を出しています。


これよりもっと遅い、例えば25時台にドラマを作る枠を設けるよう、数百人単位で署名するなり、メールを出すなり投書するなりする緩やかな組織を作られてはいかがでしょう。


数百人単位であれば、コンテンツの深いホームページの恒常的な運営や、同人ミニコミ雑誌の運営等を通じて、徒手空拳の状態からでも真剣な意欲と時間さえあれば一定の組織化は出来ると思います。そうすればラジオドラマや深夜ドラマの製作レベルならば、全てではないにせよ、ある程度意見を取りあげてもらえる存在になるでしょう。ドラマにどのくらい思い入れがあるかにもよりますが^^;;