259 名前:siro 投稿日:2003/ 7/29 21:15 >>1

2ちゃんねるに続いて、あるサイトで、伊藤一尋プロデューサーの言葉を見つけましたので、転載します。

ドラマ出演はプロモーションのワンステップか?

「あなたはなぜドラマを創っているのか」と問われれば、僕の場合その答えはいたってシンプルだ。それはドラマを創ることがとても好きだということだ。新人俳優の演技が伸びていくのを見るのも好きだし、受け取った時手の震えるような素晴らしい脚本や、予想をはるかに上回る良い演出に巡り合ったりすることが好きなのだ。
 僕にとっては、ドラマを創ってゆくことがTBSにいる目的になっているかもしれない。

 しかし、ドラマが目的ではなく手段とかプロセスになっている場合もままあるようだ。例えば、最近ドラマの出演を交渉したあるプロダクションの新人俳優のマネージャーにこう言われた。


「本当は彼は歌を歌いたいのです。ドラマに出演するのは、そのための一つのステップにすぎません。ドラマ出演で顔が売れ、人気が出たら、歌を売り出す計画です」

 僕は少しむっとし、また少し悲しくなった。その新人俳優がどんな野望を持っていようとそれは自由だ。プロダクションとして、そのことを理解しているのもいいだろう。しかしドラマのプロデューサーにはっきりそれを言うのはどうだろう。少なくともドラマにかかわろうとしている間は、胸の中に納めておいてほしい言葉ではないだろうか。ドラマに出演している時は、ドラマが目的であるということを、プロダクションとしても新人俳優に教育すべきだと僕は思う。
 でも、実はこのケースなどはまだましのほうなのだ。

主題歌と取引材料にされる俳優たち

 ある若手の人気俳優に「高校教師」(九三年)の続編の主役の出演依頼をした時のことである。この企画は脚本家の思い入れも強く、かなり早い段階で企画が固まっていた。それで、トップシーンからラストシーンまでの流れやメインプロットなど詳しくマネージャーに話した。そして数週間ほど待ったが結局断りの返事が来た。その理由を聞いたがさっぱり要領を得なかった。そこで僕は、その俳優の出演がすでに決まっている他局のドラマの内容を聞こうとした。驚くべきことにその企画はまだ形にもなっていなかった。

 なぜだ。答えは簡単だった。そのプロダクションは他に歌手も抱えていて、主題歌に自社のアーチストを使うという取引がその局の編成部とあったわけだ。俳優の出演には、ドラマの企画など必要ない。主題歌の約束さえあればいいのだ。これはまさしく、ドラマが手段になってしまった例である。歌を売り出すための手段だ。そして、俳優たちはその取引の材料として利用される。

 こういうプロダクションの力学の中でやがて良いドラマは埋没し、この力学を優先させるマネージメントの下で有望な俳優がつぶされてしまうかもしれないのだ。
「あなたはなぜドラマを創っているのか」――考えてみると、これからのドラマにとって存外重い問いではなかろうか。

うーん

・・・・1996年の11月の記載となっていましたが、高校教師の出演を断った、他のドラマで主題歌の歌手とバーターしていた俳優とか、もともと歌手志望だったという俳優って、一体誰だったのでしょう。