184 名前:siro 投稿日:2003/ 5/ 4 18:13 >>177

182のつづき


アンチは、二人を同性支持の無さに便乗して叩いている。という面があります。

前にもここで少し書いたのですが、人間というものは、同性には自分に無いものを、異性には自己投影性を求める・・・・という面があるようです。

私は男ですが、私に限らず、大体、男が同性で好きな役者といえば、マックイーン、ボガート、J=ウェイン、ゲーブル等、自分に絶対ない”強さ”を持つ、憧れの対象としての役者がほとんどです。逆に、自分と同じく弱い面をもつ役者の演技に同情して涙を流す・・・ということは、余りありません。あっても、その役者のファンにはなりません。彼らより、カサブランカのラズロ、風と共に去りぬのアシュレイ、ゴッドファーザーの次男なんかの方が、自分に余程近いのですが、熱狂的に彼らのファンになる気がしません。そういった、自分の弱さを投影できて、役柄と自己同一的になれて、役の人物が受けた痛みをまるで自分の痛みのように感じる。むしろそういった存在は異性の役者に求めます。
 女性も同じでしょう、長身、ファッションリーダー的存在。仕事がバリバリ出来て、男に依存せず、職場の花形的存在。そんな役の似合う、スーパーウーマン的な、完璧な女性にあこがれます。ですが、自分と同じく女性としての弱い面をもった女性役者は好きになれず、むしろ、異性の役者にそれを求めるのではないかとおもいます。
 ですが、そういった”弱い面”を演じることのできる女優は、同性からはあまり関心をもたれないか、或いは総スカンです(特にフェミニズムに影響された女性からは)。異性に、同情を誘う、守ってあげたいと思わせるような同性は、本能的に警戒するのでしょう。

 つまり、人間として弱い面を演じることの出来る役者は、同性からの支持を得にくく、それが同性からの不支持につながり、アンチの横行を許すことになる。そういうことでしょう。憧れの対象、異性の同情を誘う対象、どちらとも作品に不可欠な存在なのは間違いないのですが。